韓国ドラマの七日の王妃を見た方が気になること。
それは、七日の王妃はどこまで本当にあった話なのか・・ということではないでしょうか?
七日の王妃を見た方、そしてこれから見ようかと迷っておられる方にご紹介です☆
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韓ドラ 七日の王妃は本当にあった話なの?
七日の王妃は本当にあった話なのか
この韓ドラのタイトルにもなっている七日の王妃というものですが、実際はどうだったのか。
実は、七日の王妃という王妃様は実際にいました。
たった七日間だけ王妃になり、とても可哀想な悲劇な王妃様。
このドラマでもたびたび切なくなる部分がありますね。
チェギョンが今回王妃様となりたった7日間のみ王妃様になるわけなんですが、その昔この方は実際におられた人物になります。
なぜたった7日間だけだったのか
ドラマを見たことがある方はわかると思いますがイ・ドンゴンは演じている燕山君(ヨンサングン)はかなりの暴君でした。
これは、親からのまともな愛情を受けずに育ち愛に飢えていたため。
この暴君のいきすぎた行動をどうにかするためにクーデターが起こりそこで燕山君の時代は終わります
その後、その義母弟のイ・ヨクの中宗が11代目となります
そのため、七日の王妃のドラマではチェギョンですが実際は端敬王后となります
ここまではメデタシ・メデシタ・・なんですが・・
ここからが悲劇・・
なぜ七日だったのか・・ここからなんです・・
クーデターを起こして晋城大君(チンソンテグン)側の官僚たちがこの端敬王后の身内に問題があると離縁を進めるのです。
これには深い事情がありドラマでもそうですがドラマで言えばチェギョンのお父さんは前国王燕山君の側近でした。
実際はお父さんの妹が燕山君の妃でありました。
ですので、クーデターで廃位させた先代王の身内が王宮にいては困りますよね。
ですのでみんなで離縁をすすめたのです。
でも黙っていないのはやはり中宗です。
二人はものすごく愛し合っていました。
ですので離縁なんてできるはずもありません。
でもダメだったんですね。
たった7日間で廃位となりました。
ものすごく可哀想な二人です(/_;)
その後中宗はそれでも愛し続けた
たった7日間で廃位となってしまった端敬王后のことを一生涯愛し続けました。
亡くなるその日まで。
そして実際この二人が別れたその日以来1度もあえなかったそうです。
亡くなる直前端敬王后は会いに行きましたが王宮へいれてもらえずそのままあえず出終わったしまいました。
なんと悲しい結末・・
でも二人は実は会えませんが元気で暮らしているかどうかを確認するある方法をとっていました。
中宗は、会えなくなってからずっと悲しみに暮れ仁王山(イサンナン)という山の岸に住む端敬王后がいる家を毎日眺めていたそうです。
コレを知った端敬王后があることをして中宗に”自分は元気で暮らしているよ”という合図をするようになりました。
それがチマ岩伝説になります。
チマ岩伝説とは
チマ岩伝説とは、中宗が毎日会えなくて悲しみにくれる中、自分の王宮から仁王山(イサンナン)という山の岸に住む端敬王后がいる家を毎日眺めていました。
これを知った端敬王后が自分は元気でいますということを知らせるためにチマ(韓服の下衣、ラップスカート)を仁王山(イサンナン)という山の岩の上に毎日かけました。
これをチマ岩伝説とみんなは言いました。
まとめ
七日の王妃は実在しました
とても悲しく、でも最後の最後まで愛し合ったお二人。
とても悲しいですが本物の愛ってこういうものなんだろうなと思わせられました。
ドラマを見た方はもう一度これをわかった後に見ると更に感動しますし、まだ見ていない方もこれを頭に入れて見てみてくださいね。
少し違うところはあるかもしれませんが実際こういう方がいるんだとわかったらまたちょっと見方も変わりますね☆