【韓国ドラマ】チェギョン(端敬王后)は本当にいた人?史実ではどんな人だった?

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韓国ドラマの”七日の王妃”に登場するチェギョンのちの端敬王后(タンギョンワンフ)は実際いた人なんでしょうか?

もしいたなら史実ではどんな人だったのか・・

ドラマでのチェギョンはヨクと切なくでも素敵な恋のラブストーリーが描かれていますね。

本当にいた人なら本当にこんな素敵な女性だったのか・・

そしてチェギョンは7日間のみの王妃でしたが実際は本当にそうだったのか・・ご紹介していきます!

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韓国ドラマ チェギョン(端敬王后)は本当にいた人?史実ではどんな人だった?

参考:http://kandera.jp/sp/nanoka/

チェギョン/端敬王后(タンギョンワンフ)は本当にいた人?

では結論からいいます。

結論は、本当にいました。

チェギョンののちの端敬王后(タンギョンワンフ)は、ヨクと結婚し、本当に7日間のみですが王妃の座につきました。

その後ヨクと離縁することになり、そのまま宮殿へは戻れないまま生涯を閉じています。

なぜ七日だったのか・・

それは別記事でご紹介していますのでご参考にしてみてくださいね

合わせて読みたい記事▼

【韓ドラ】七日の王妃は本当にあった話なの?なぜたった七日だったのか!

では史実ではどんな方だったのかご紹介していきます

端敬王后(タンギョンワンフ)はどんな人だったのか

では端敬王后(タンギョンワンフ)のプロフィールからご紹介していきます

端敬王后(タンギョンワンフ)がうまれたのは、1487年2月7日

そして亡くなったのは1557年12月27日

父は、先王の10代目燕山君(ヨンサングン)の側近左議政(チャイジョン)シン・スグン

母は、世宗(セジョン)第4代目王の4番目の子供・臨瀛大君(イミョンテグン)の子孫になります。

ですのでかなり高貴な家庭で育った方だとわかりますね。

この端敬王后(タンギョンワンフ)のお父さんのちの左議政(チャイジョン)は、10代目燕山君(ヨンサングン)の王妃は妹で兄妹となります

なので端敬王后(タンギョンワンフ)から見ると、燕山君(ヨンサングン)の王妃は叔母さんにあたります。

これはドラマでも忠実に再現されていましたね。

1499年に13歳のときに晋城大君(チンソンテグン)のちの中宗(チュンジョン)と結婚します。

これが後の波乱を巻き起こします。




端敬王后(タンギョンワンフ)子供はいた?

ヨクと結婚してから二人の間に子供はいたのでしょうか

残念ながらヨクと端敬王后(タンギョンワンフ)二人の間に子供はいませんでした。

王妃になってからたった7日間しか一緒にいれなかったのですから仕方ないですね。

7日だけだった王妃端敬王后(タンギョンワンフ)

先王10代目燕山君(ヨンサングン)は、歴史上1位2位を争うほどの暴君でした。

ですのでこれをみんなが黙ってみてるわけもなくクーデター(武力行使によって政権を奪うこと)を起こされ廃位となります。

ここまではよかったのですが、端敬王后(タンギョンワンフ)の身内が先の王様の周りにいすぎたというのが悲劇の始まり。

端敬王后(タンギョンワンフ)の叔母も父も先の王様の王妃、そして左議政(チャイジョン)でした。

ですのでまた何か暴挙が起きては困りますよね。

なので端敬王后(タンギョンワンフ)を廃位させろという重臣の意見が集まり中宗(チュンジョン)も逆らえず離縁することとなります。

ですのでたった7日間のみの王妃となりました

これは史実でももっとも短い王妃としても残っています

そしてもうひとつの理由があります

クーデターを起こすときに、左議政(チャイジョン)である端敬王后(タンギョンワンフ)の父は参加しませんでした。

ここでパク・ウォンジョンに殺害されてしまいます。

7日の王妃ではパク・ウォンジョンは、ミョンヘの父として登場していますね。

この方が殺害するとはドラマを見る限りではあまり考えにくいですね。

パク・ウォンジョンは、左議政(チャイジョン)である端敬王后(タンギョンワンフ)の父を殺害していたので、その娘が王妃として宮殿におられると、またいつ復讐をしてくるかわからないため、王妃の廃妃をしろと中宗(チュンジョン)に言うのですね。

中宗(チュンジョン)はずっと貧しいときからそばにいた妻と離縁などできないと拒みますが、重臣達の力で中宗(チュンジョン)となったということもあり逆らえませんでした。

自分の身の安全を守るためここまでするとはとてもひどい人ですね。

端敬王后(タンギョンワンフ)は2度と宮殿には戻れず

その後端敬王后(タンギョンワンフ)は、2度と宮殿へは戻れませんでした。

中宗(チュンジョン)もかなり落ち込んでいたそうです。

中宗(チュンジョン)の悲しみを耳にした端敬王后(タンギョンワンフ)は毎日身につけていたチマを高い山の岩の上に毎日かけて、自分は元気にしているという合図をしました。

これをのちにみんなチマ岩伝説と呼びます。

廃妃されてから、端敬王后(タンギョンワンフ)は2度と宮殿へは戻れず71歳まで生きました

中宗(チュンジョン)が他界するときも本当はかけつけたのですが、宮殿へは入れてもらえずそのまま離縁したその日から会えないままとなりました。

途中、中宗(チュンジョン)の側室が王妃となりましたが若くして亡くなり、そのときに端敬王后(タンギョンワンフ)を復位させる話もでましたが重臣達の反対で叶いませんでした。

この端敬王后(タンギョンワンフ)を復位させようと案を出した一部の官僚たちとそれを反発する重臣達とで争いが起きるとまともな政治ができないことを苦慮した中宗(チュンジョン)は仕方なく端敬王后(タンギョンワンフ)を復位させようと言った人たちを流刑に処しました。




その後復位される

そのまま廃妃となったまま端敬王后(タンギョンワンフ)は亡くなるのですが時はたち・・

21代目王様英祖の時代に王妃の位がもどされ、端敬王后 慎氏(タンギョンワンフ シンシ)と呼ばれるようになりました

ポイント

21代目というと英祖の時代。

英祖は、”トンイ”の作品でもでてきた昑(グム)ですね。

また昑(グム)は、”イサン”という作品でも王様として登場しています。

なんとも波瀾万丈な方でした。

ドラマでもヨクとはとても仲の良い夫婦でしたが史実でもそうであったようです。

ここは裏切らない史実で安堵しました。

でも、亡くなるまで1度も会えなかったなんて悲しすぎますね。

今の時代では考えにくいですがでも、チマ岩伝説で顔は見えずとも二人の心は通い合っていたというのが感じられとても切なく、そして悲しく、でも素敵なラブストーリーです。

きっと天国で会えたのではないでしょうか。

端敬王后 慎氏(タンギョンワンフ シンシ)についてのご紹介でした。