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米びつに閉じ込められた世子!本当にあった話なの?

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沢山の韓国ドラマの時代劇を見ていると、沢山のハテナに出会います。

その中の1つの、世子が米びつに閉じ込められているという疑問。

これ本当にあった話?

と、疑問に思わないはずがない事件ですよね。

さて、この米びつに閉じ込められた世子は本当にいたのか。

についてご紹介していこうと思います

米びつに閉じ込められた世子!本当にあった話なの?

米びつに閉じ込められた世子は本当にいたのか

イ・サンの1話で突然でてくるこのワンシーン

いきなりこのシーンでギョっとしますよね。

これ本当にあったのかな・・・・?

 

答えは・・イエスです。

本当に米びつに世子が閉じ込められました・・

やばいですよね。

ではなぜ?なぜこんなことになったのかご紹介していきますね




なぜ米びつに世子が閉じ込められてしまったのか。

朝鮮王朝の歴史書として「承政院日記」と「朝鮮王朝実録」というものがあります。

その中で「承政院日記」は王の行った政務・病状・王の行動(誰と会って話たか、どこでどんな勉強をしたのか)などを事細かく記された書なのですが、ここに本当はこの事件について書かれていました。

 

ですが、 この米びつ世子の子供のサンが王位に就いたときに洗草という儀式で消し去ってしまったので実はその全貌は今でもわかっていないのが現状となります。

 

この洗草という儀式は、イ・サンでも描かれているので気になる方はイ・サンをチェックしてみてくださいね。

でも実は、朝鮮王朝実録の方に残っていることもあるのでそれを基にご紹介。

 

世子の父である英祖は、2番目の息子荘献世子に公務を代行させようとする。

1番目は、早くに亡くなってしまったため。

 

だがこれを面白く思わなかったのが反対派の老論派(ノロンパ)。

老論派(ノロンパ)は、世子と父の英祖を仲たがいさせるべく、謀略をめぐらしす。

英祖は、公務の代行を辞めさせようとするが世子は報告なしに遊覧するなど、この行動を老論派(ノロンパ)が英祖に世子にふさわしくないなどと告げる。

 

これは、世子を陥れようとした老論派(ノロンパ)が側室の昭媛ムン氏や貞純王后などを利用して世子にまつわるよからぬ噂を次々と英祖に吹き込んだため世子は精神を病んで遊びまわったり王宮を抜け出したり、女官を殺したりしてしまう。

1762年、世子の非行を告発する上奏文に激怒した英祖はソンに自決を命じるも、応じなかった世子。

 

そこでこの世子が米びつに入れられるという事件が起こり、そして米びつに入れられた8日後に亡くなっているのが見つかります。

 

この死に心を痛めのが、父の英祖であった

この死を悼み「思悼世子」という諡号を贈ったと記されています。

まとめ

これが、米びつの世子の事件について残されている情報となります。

色々見ますが、この事件の全貌はほぼわからないままですが、ドラマのペク・ドンスや秘密の扉をみると、世子がそんなことをするわけがないという一面になりますね。

 

しっかりしている世子が女官を殺したり、遊びまわるなんて・・・

でも、これは老論派(ノロンパ)が、自分たちの身を守るために仕向けたことなので、本当に許せません。

 

父の英祖も、もっと息子の違います!を信じてあげて欲しかったですよね。

でも、この無念は、次の王のこの米びつの世子の息子であるイ・サンが王に就いたときにこの老論派(ノロンパ)の重鎮を処刑しています。

なのでこの無念は息子が晴らしてくれているのですが・・・

なんとも、ため息がでちゃう話ですよね。

 

というわけで、米びつの世子は本当にいたっていうお話でした。

こんな事件は今では信じられませんよね。

この辺りの世子が陥れられる感じの話は、ペク・ドンスや秘密の扉を見ていただけるとなんとなく~わかるかなと思います。

 

あと、この世子の息子であるサンが主役となったドラマ『イ・サン』も合わせてみると話が分かってくるかなと思います。

 

以上米びつの世子のお話でした。

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